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2004年09月25日

From Tokyo

遅くなりましたがイスタンブールの写真の一部をアップしました。

写真はもう一度厳選して、その他の情報とともに報告しなおす予定です。

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From Tokyo 15

20040926-16.JPG

旅の終わり、そして・・・の絵

日本の成田国際空港、第二ターミナルで撮影した一枚です。
長かった旅行も遂に終わって日本に帰ってきてしまいました。

この後、私(杉岡)などは家に帰って休んでいたものの、
その後すぐ研究室に戻って提出物を提出した大城さんを始め、
私以外は皆すぐに元の生活が始まっていました(苦笑)。

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From Tokyo 14

20040926-15.JPG

さようならイスタンブール の絵

アタチュルク空港のロビーで撮影した一枚。
何となく、次の目的地は・・・という気分で現実感がない、というのが、当時の印象でした。

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From Tokyo 13

20040926-14.JPG

旅の疲れを落としましょ♪の絵

日本に帰る当日の午前中に立ち寄ったハマムの休憩所の写真。
ここのハマムは一人一人脱衣所が付いていて、結構リッチな雰囲気。
ケサジ(お金を払うとマッサージや洗浄を行ってくれる人)は、ユニークな人で、
私(杉岡)と歌野さんがいっしょに洗われている時は、
石けんまみれで目が見えないことをいいことに、あんなことやこんなことをされていました。。。

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From Tokyo 12

20040926-13.JPG

学生街を歩いて・・・の絵

イスタンブール大学の周辺で食事をとった後の一枚です。
イスタンブール大学周辺は小学校、中学校などの学校が集まっていて、
私たちが歩いていると元気な中学生達が集まってきていました。

かつて日本人の学生または教師もいたようで、
壁に描かれた世界地図に日本の国旗が描かれていたり、
「富士山」や「諸行無常」の文字も。。。

写真についてはノーコメントで(ぇ

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From Tokyo 11

20040926-12.JPG

テオドシウスの城壁を歩いて の絵

金角湾からマルマラ海までを結ぶ、かつての城壁跡の内、
トラムヴァイ(路面電車)のトプカプ駅から、地下鉄のウルバトゥル・トプカプ駅までを
歩いたときの一枚です。
場所によっては城壁の修復が進んでいるそうですが、
我々の訪れた城壁は修復中だったり、放置されていたりする城壁だけでした。
ここもゴミが放置されていたり、あちこち崩れかけていたり、
というところを強引に登ってみました。

写真は、真ん中に写っている私(杉岡)は、ほとんど人一人分の幅しかない場所を歩いていて、
左に写っている梶内さんは諦めて戻り、右には既に渡っている大城さんが待っています。
写っていない歌野さんと磯さんは最初から興味なし、といった感じ。

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From Tokyo 10

20040926-11.JPG

オルタキョイで一休みの絵

オルタキョイというバザールのある街で撮影した一枚です。
女性向けの雑貨が中心に販売されていたので、私と磯さんはブラブラ徘徊。
この後、少し歩いてボスポラス大橋のたもとまで行ってきました。

写真に写る白い建物はオルタキョイ・ジャミィというモスク。
イスタンブールのモスクは、中央アジア・イランと見てきた日干し煉瓦造りの茶色いモスクではなく、
ほとんどが白い石造りのモスク。
鮮やかなモザイクタイルが見られないものの、
若干くすんだ白のモスクは、海の蒼と、空の青に映えて、
これまでとは一風異なるモスクの美しさを見せてくれました。

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From Tokyo 9

20040926-10.JPG

船上から の絵

ボスポラスクルーズはイスタンブールのヨーロッパ側、最大の停船場、エミノニュから、
何カ所にも寄港しながら、ドルマバフチェ宮殿、ボスポラス大橋、アナドル・ヒサル、ルメリ・ヒサル、
ファーティフ・スルタン・メフメット(第二ボスポラス)大橋などを横目に見ながら、
ボスポラス側とマルマラ海側を往復する連絡船。

エミノニュ→アナドル・カヴァウ、アナドル・カヴァウ→エミノニュ、共に一日二本で、
我々は10:30発の行きの一本目に乗って、17:00発の帰りの二本目に乗りました。

通常の連絡船と異なり7.5ミルヨン(7,500,000TL、約6US$)かかるものの、
海上から見る、ルメリ・ヒサル(砲台跡)やボスポラス大橋、ボスポラス海峡沿いの町並み、と
代金以上の価値はあったと思います。
それほど揺れないので船酔いの心配もほとんどありませんでした。

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From Tokyo 8

20040926-09.JPG

山を登ると・・・の絵

とりあえず登ってみようと登った山の上からは、黒海を見下ろすことができました。
写真の背景に写っている二つの岬から向こう側が黒海。
山を登っているときには、海が見えることは期待していなかったので、
高台から眼前に広がる海を目の当たりにして、一同言葉を奪われていました。

ちなみに黒海といっても黒い海、という意味ではなく、
海水成分における塩分比率が高いせいで魚類の生息しない死の意味という意味である、とのこと。
(これを執筆しながらググってみると、黒海には有酸素層と無酸素層があり、
無酸素層の深海には光も届かず、微生物も生息しないから、など諸説があるようです)

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From Tokyo 7

20040925-08.JPG

山道を登って の絵

ボスポラスクルーズに参加し、終点の停船場、アナドル・カヴァウから山の上の砦跡に向かっている時の写真です。
真ん中に移っているのは、船で知り合った日本人旅行者の佐藤さん。
彼女はトランジットを利用してイスタンブールを観光していて、
帰りの飛行機の便が同じだったこともあり、この後も何度か行動を共にしました。

こちらは、イスタンブール(エミノニュ)から2時間ほど船で来た、ボスポラス海峡の黒海側。
飲食店と軍事施設しかない街なので、とりあえず街から見える砦跡に向かってみました。

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From Tokyo 6

20040925-07.JPG

チンチン電車は今日も行く の絵

新市街で路面電車を撮影した一枚。
旧市街側の路面電車が、新しい車両で速度も速く、定員も多い一方で、
新市街側の路面電車は、古い車両で速度も遅く、定員も10数名、
ほとんど観光用の乗り物でした。

新市街側の路面電車は、子供や若者を中心に走っている車両に飛び乗って、
無賃乗車している姿も度々見られました。
ただ、現在新市街の路面電車の一端の駅で大規模な工事をしているようで、
近い将来こちらの電車は様変わりしてしまうかも知れません。

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From Tokyo 5

20040925-06.JPG

ピッ! の絵

ドルマバフチェ宮殿前で撮った一枚。
すでに共和政体に移っているトルコでは、当然宮殿は使用されていないのですが、
宮殿前にはしっかりと衛兵が屹立しておりました。
右手に小銃、後ろに回した左手は腰に身につけた小刀の柄を握っていました。

こうした衛兵は中国、トルクメニスタンでも見ることができましたが、
一番しっかりとしていたのはトルクメニスタンだったと思います。
ちなみに有名なロンドンのバッキンガム宮殿前の衛兵は大したことがないそうで、
日本の衛兵の方がよっぽどしっかりしているそうです(磯部談)

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From Tokyo 4

20040925-05.JPG

夕焼け時のガラタ塔 の絵

イスタンブールで旧市街側から新市街側を見ると真っ先に目に入るガラタ塔。
これはそのガラタ塔に上った時に撮った一枚。

高さ自体は大して高くない塔ですが、小高い丘の上に建っているために、
アジア側・旧市街・新市街・ボスポラス海峡・マルマラ海と、
360°の眺望を楽しむことができます。
最上階から一階降りたフロアがカフェに、最上階がバーになっていて、
バーの周囲が展望エリアになっています。

我々はカフェで休んだ後、展望エリアで夕焼けを見ていました。
さすがにカップルの数が多かったので、かなり場に不釣り合いな集団だったかもしれませんが。。。

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From Tokyo 3

20040925-04.JPG

海の要衝、ボスポラス海峡 の絵

海上交通の要衝として知られるボスポラス海峡は、
噂通りに昼夜を問わず行き交う船舶で埋め尽くされていました。

船の種類も数人乗りの小舟から、数百人を乗せる定期船、大型タンカーと、
様々な船を見ることができました。

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From Tokyo 2

20040925-03.JPG

う〜ん・・・改めて見ると妖しい・・・の絵

トプカプ宮殿の地下宮殿で撮影した一枚です。
これ、私と歌野さんが妖しい関係にある、という訳ではなく、
右側に写るメドゥーサの彫刻と首を合わせようと首を傾けた時に、
私と梶内さんが見事に逆側に傾けていた、という写真です。

若干一名裏切り者がいますねぇ〜(¬_¬)

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From Tokyo 1

20040925-02.JPG

梶内さん登場!の絵

トプカプ宮殿で撮影した一枚です。
この前日の夜の便で梶内さんが日本から到着し、最後の合流となりました。
長時間のフライトの割に元気そうで、我々も一安心。

イスタンブール観光のフルメンバーが揃った、ということで、この日から観光開始です。
そして、観光開始のトプカプ宮殿からいきなり入り口が分からず徘徊することになる、
とアクシデントに見舞われいました(笑

投稿者 isobe : 21:55 | コメント (1) | トラックバック

2004年09月24日

帰国報告と謝辞

遅くなりましたが帰国報告です。
9月22日、11時25分の到着便で無事日本へ帰ってきました。
すっかり秋めいているかと予想したものの、到着した日の最高気温は32℃。
まだまだ暑い日が続いていたので驚きました。

最長で50日近い我々の旅行も終わってみると・・・流石に結構長かったかな。
とはいっても、日本の時間は刻々と刻み続けるわけで。
また、それぞれの生活をがんばっていきます。

このブログもここで一区切りを迎えるわけですが、
旅行中に紹介できなかった写真などの紹介など、
機会をとりつつブログを継続していく予定です。

また、陸路・海路で西を目指すGOWESTプロジェクトに関しても、
今回のように長期計画で行動することは困難だろうとは思われますが、
今後も続けていければと、思っています。
誰が最初にロンドンに辿り着くのか楽しみです。
(と、書きつつも、私はどうにかウルムチまで続けないとGOWESTが繋がらない罠)


日本からブログの更新をして下さったミノルさん、
GPSデータの加工・UPをしてくださったタカクさん、
長期欠席でご迷惑をおかけしたそれぞれの研究室の皆様、ご家族の皆様などなど、
また、ブログを見て下さっている皆様、
本当にありがとうございました。

旅行先で出会った多くの方々。
英語すらたどたどしい我々に対してコミュニケーションをとってくださった現地の方々、
それぞれ楽しい経験談や有益な情報を提供して下さった日本人の方々、
皆様と過ごした時間はとても貴重な思い出になっています。
連絡先を下さった方々には出来る限り旅行の報告・写真の送信をさせていただきます。
ありがとうございました。

我々の無理な要求にも応じて下さり、時には有益なアドバイスを下さった代理店のスタッフの皆様、
観光のみならず色々な話をして下さった現地ガイド・通訳・運転手の皆様、
お仕事とはいえ、契約以上の結果を出して下さったと感謝しております。

最後に、今回の旅行を統括してくださった自作自演ツアーのスタッフの方々。
貢献の度合いの多寡はともかく、皆様おつかれさまでした。
旅行が終わっても宿題がたくさん残っておりますが、がんばっていきましょう。

投稿者 piston : 02:35 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月20日

From Istanbul 2-24

20040920-24.JPG

GOWEST終了! の絵

到着の翌日、ハイダル・パシャ駅に戻って記念撮影をしました。
長かったGOWESTもようやく終着。
一行はこの翌日に東京から来た梶内さんを迎えて、イスタンブール観光を行いました。

移動移動の連続の旅もようやくおしまい。
イスタンブール滞在は10日弱あったわけですが、皆一安心していたんじゃないかな。

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From Istanbul 2-23

20040920-23.JPG

イスタンブールの夜景 の絵

イスタンブールで滞在したホテルで撮影した写真です。
ホテルはヨーロッパ側にあって、写真に写っているのは、ボスポラス海峡を挟んだアジア側。

イスタンブールは街が発展していて夜の光が多い上、
大きなモスクがライトアップされているために、とても夜景が綺麗でした。
これまでは夜の灯りはあっても、ここまで明るく照らし出されていることはなかったので、
ついにヨーロッパに来たのだなぁ、としみじみ思わされました。

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From Istanbul 2-22

20040920-22.JPG

つ、遂にアジアの終端駅へ!!の絵

トランスアジアエクスプレスの終着駅、ハイダル・パシャ駅で撮影。
17時到着の予定が、実際に着いたのは22時。
さすがに皆、疲労している上、右も左も分からない状態なので、
とりあえず駅から出てみた、って感じでした。
実際はこの背後に停船所があるので、若干船待ちの状態。

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From Istanbul 2-21

20040919-21.JPG

トランスアジアエクスプレスのみんなと一緒に の絵

トランスアジアエクスプレスは客車は変わると言っても、
中の乗客達はほとんど一緒なので、日本人がいる、
という噂はあっという間に広まっていったようです。

また、この列車でトルコに抜けるイラン人の方々は、
商業目的の方々も多いようでしたが、宗教的な理由の方も大勢いたり。。。

写真の方々はトルコ側で同じ車両に乗っていた人たち。
大城さんと歌野さんを中心に彼らとは度々コミュニケーションを取っていました。
日本の文化について尋ねられることも多かったのですが、
その中でも多い質問は宗教について。
そして、一番返答に困ったのは詩について。(宗教の質問も答えにくかったのですが)

イランでは詩がかなりメジャーなようで、
日本で有名な詩はなんですか?詩を書いてくれ?と度々頼まれました。

当然詩なんて暗記している訳でもなく、
たまたま私が持ち込んでいた宮沢賢治詩集にも適当な詩がなかったため、
みんなで相談しあってやっとのことで詩を絞り出していました。
ちなみに結果として出した詩は
「贈る言葉」「松尾芭蕉の俳句」。。。

あと、最後に皆で君が代を熱唱しました(笑

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From Istanbul 2-20

20040919-20.JPG

電車でGO!の絵

Ankara駅からは電化されたので機関車を交換しました。
磯さん曰く、ほとんどの列車が電化されているのは日本ぐらいだ、ということで、
今回の旅行でも最初で最初の電車での移動でした。
(地下鉄や路面電車は電気でしたけどね)

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From Istanbul 2-19

20040919-19.JPG

続テヘランからイスタンブールへ の絵

こちらはトルコ側の列車のプレートになります。
Tatvanというワン湖畔の駅から経って、首都Ankaraを経由して、
H.Pasa、ハイダル・パシャというイスタンブールのアジア側の終着駅に
到達することが書かれています。

ちなみにトルコの列車は、この旅行直前に何度も事故を起こしていました。
この列車もかなり数時間単位で遅れている上に、
電気関係が不安定で延々電気が通らない状況に。
食堂車は度々停電になる上に料理はできない。
GPSやノートパソコンの充電にも差し障りがあり、
電化された地域に入るまで、ずっと電気の問題には悩まされました。

しかも、ちょうど私たちの部屋の通路側の窓が投石され割られる、という事態に。
ちょうど大城さんと歌野さんが窓際で会話していた時だったので、とても危険でした。

これが最後の鉄道になるわけですが、
私的にはイランのマシュハド-テヘラン間の鉄道が一番良かったなぁ〜

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From Istanbul 2-18

20040919-18.JPG

ワン湖を越えて の絵

テヘラン-イスタンブール間を繋ぐトランスアジアエキスプレスですが、
同じ車両で全行程を進むわけではなく、写真のワン湖周辺は船に乗り換えます。
最後まで共に進む貨物車だけは、バッチリ船の中にも積み込まれています。
しっかりと船と線路が接続するようになっていて、海外の交通機関の多様さに驚きます。

ちなみに船の定員は列車の定員より少ないため、船はすし詰め状態・・・
しかも船の到着時間が遅れた影響で、移動は夜中・・・
運良くシートを確保することができたので休むことはできたけど、しんどい移動でした。

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From Istanbul 2-17

20040919-17.JPG

アタチュルクさんこんにちは♪の絵

こちらもトルコ側の国境駅で撮影。
イランはホメイニー師、ハーメイニー師、ハターミー師が露出しまくりでしたが、
トルコではこの銅像のアタチュルクさんが国の英雄として讃えられています。
お札も全てアタチュルク氏の肖像が描かれています。
ちなみにアタチュルクというのはトルコの父という意味で、
本名はムスタファ・ケマル・パシャという人物。
文字通りトルコ建国の父とも言える、初代大統領。

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From Istanbul 2-16

20040919-16.JPG

機関車変更中 の絵

イラン国境、トルコ国境を越えたところで、IIRR(Iranian Isramic Republic Railways)の機関車から、
TCDD(T?RK?YE CUMHUR?YET? DEVLET DEM?RYOLLARI)の機関車へ変更。
客車・スタッフはまだIIRRのスタッフなものの、どんどんトルコ入国を実感させられます。

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From Istanbul 2-15

20040919-15.JPG

テヘランからイスタンブールへ の絵

トランスアジアエクスプレスのプレートです。
トランスアジアエクスプレスは3泊4日の長距離列車。
イラン側で一泊、翌日にはトルコ国境へ。
トルコ国境を越えた後、夜半に船に乗り換えて湖を渡り、
さらにトルコ側の列車に乗り換えて、さらに一泊。
翌日夕方にはイスタンブール入り出来る予定でした。

実際には湖での接続に手間取り予定より5時間ばかり遅れての到着になりましたが、
単に路線のみの評価をするならば、この鉄道の旅は面白かったです。
(鉄道としての評価は履修不許可らしいですが・・・)

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From Istanbul 2-14

20040919-14.JPG

トランスアジアエクスプレスの絵

テヘラン駅でトランスアジアエクスプレスに乗り込む時の写真です。
数百人が乗り込む列車にもかかわらず、駅のターミナルのサイズが小さく、
ようやくゲートが開いて列車に乗り込める、という時。
ほっとしつつも、ここまで乗り込む列車でことごとく問題が発生していたので、
純粋に安心できなかったり。
実際ゲートが開く前にも、外国人であることをいいことに、税金逃れで荷物を積み込ませて欲しいと頼まれて困っていたり。
とはいえ、唯一問題なく乗り込めた列車でした。

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From Istanbul 2-13

20040919-13.JPG

親指を立てることは・・・の絵

テヘランの国鉄駅前の写真。
イランの公共交通は接続が悪いのが難点。
エスファハーンやシーラーズの空港にはバスすら接続しておらず、毎回タクシーの運ちゃんと価格交渉で格闘していました。

ちなみに親指を立てるポーズはイランではあまり良くないポーズらしいです。
実際は多くの人が使っていることもあり、全く気が付かなかったものの、
イランに滞在してしばらく経ってからチャーイハーネで出会った人に忠告していただきました。
なかなか難しいものです。。。

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From Istanbul 2-12

20040919-12.JPG

ミドルクラスな町並み(謎)の絵

飛行機から見下ろした中心部から少し外れたテヘラン市街。
あまりにも整然とした町並みが広がっていたため、思わずシムシティを連想してしまいました(笑

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From Istanbul 2-11

20040919-11.JPG

夜のハージュー橋 の絵

From Istanbul 2-09で紹介したハージュー橋の夜はライトアップされて、とても綺麗でした。
橋は歩行者専用橋で、真ん中の通路と、川を臨んだ外側の通路の3重構成。
上からも下からも楽しめる橋でした。

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From Istanbul 2-10

20040919-10.JPG

ヒゲの殿下?

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From Istanbul 2-09

20040919-09.JPG

ハージュー橋のたもとで の絵

エスファハーン南部を流れるザーヤンデ川にかかるハージュー橋の写真。
ザーヤンデ川はとても綺麗、というわけではないものの、このように遊水施設のある橋はなかなかの魅力的なスポット。
一日通して多くの市民が憩いの場として集っていました。

ザーヤンデ川にかかる別の橋、スィー・オ・セ橋には橋のたもとにはチャーイハーネ(喫茶店)があって、そこでのお茶はまた格別♪
都市における河川有効利用としてもエスファハーンはとても印象的な街でした。

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From Istanbul 2-08

20040919-08.JPG

絨毯選別中・・・の絵

エスファハーンのエマーム広場沿いの絨毯屋さんで大城さんが絨毯を購入しようと選別中。
残り2枚ぐらいに絞り込んでみたところで、実際に座ってみました。
私も絨毯購入してしまったのですが、絨毯購入は難しく、楽しいものでした。
イランのシルク製じゃなければとんでもない金額がするものではないですし、
遊牧民製(ノーマッド)の絨毯はシンプルなデザインと渋い色合いが特徴的で、私はお気に入り。
大城さんはシルクの絨毯にも引かれていたようですが、如何せん値段などなどの問題もあり、
結局ここで絞っていた絨毯はどちらも遊牧民柄でした。

絨毯を買う買わないはともかくとして、イランに旅行した際にはチャイを飲みながら絨毯選別もなかなか楽しいもの。
ただし、ご購入は自己責任で。お世話になってもあっさり断れる決断力を持って行って下さい(笑

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From Istanbul 2-07

20040919-07.JPG

Shaking Minare の絵

エスファハーン郊外にあるメナーレ・ジョンバーンというミナレットの写真。
この片方の塔の中で塔を揺らすと、建物全体が振動して、もう片方の塔の鐘が鳴るという建築物。

最初は特に説明もなく中に訪れてみると、すでに多くの見物客が。
間もなくBGMが流れ、何が始まるのか、と思っていると、おっさんが一人塔の中へ。
中に入ってしばらくすると塔が目視で確認できるほど揺れ始め、鐘が鳴り始めました。

全くの意外な見せ物と、そのくだらなさに、皆見入ってしまいました(笑
特に、磯さんなどはお気に入りの様子で、後日イランで一番良かった場所は?
と尋ねられると迷わず、揺れるミナレットだ、と答えていました。

以前は観光客が中に入って揺らすこともできたそうですが、今は建物が傷み始めたということで、
毎日夕方の17時、18時、19時の3回のみ、スタッフが中で揺らしているだけとか。
試みにガイドさんに、いつか壊れてしまうのでは?と聞いてみると、当然だろ、との返答が。
いつかニュースでミナレットが崩れたという報せを目にすることがあるかもしれません。

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From Istanbul 2-06

20040919-06.gif

お食事ちう の絵

イランの食事は大抵ご飯が多いのが印象的。
ここで私(杉岡)が食べているのは立方体の形に整えられたサフランライスに、羊肉が挟み込まれたもの。
この料理はあまり一般的ではなく、このようにサフランで色づけられたり、油で炒められたご飯と、
鶏肉や羊肉のケバブが一緒になったプレートが出てくるのが一般的。

また、ご飯の手前側で茶色になっている部分はおこげ。
おこげはイランでは一番おいしい部分ということで、お店によっては5cm四方の小さいおこげが付いてくることも。

私は毎日こってりしたご飯で一杯一杯になっていたのですが、
この料理は他の料理と違ってふっくらとしたご飯でおいしく食べられました。
それにイランでは安価でお腹一杯食べられたことは確かで、その価値は次の国トルコで思い知ることに・・・

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From Istanbul 2-05

20040919-05.JPG

うたのと愉快な仲間達、再び・・・の絵

エスファハーンにあるチェヘル・ソトゥーン宮殿の写真。
この建物はかつて迎賓館として使われた建物らしく、とても綺麗な建物でした。
そこでの見学中に歌野さんの周りに、別の観光客のグループが。

黒いチャードルを身にまとっているのは全て女の子。
イランの女性は基本的に慎み深いと言われ、実際座席では隣りに座らない、
むやみに話しかけない、など旅行者と言っても配慮が必要なことは確かですが・・・
この時ばかりは向こうから集団に積極的に話しかけられたり、写真を撮られたり、
と歌野さんも困惑気味でした。

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From Istanbul 2-04

20040919-04.JPG

DOWN WITH... の絵

エスファハーンのエマーム広場の中にある縁石に印刷されている文字はとても印象的でした。
イランは皆さんご存じの通り、クリントン大統領、ブッシュ大統領と、歴代のアメリカの元首により、
「ならずもの国家」「悪の枢軸」と呼称された国。
しかし、我々の抱いたイランの印象は全く異なるものであり、人々はやさしく、とても過ごしやすいところでした。

なんて平和ボケした旅行者らしい感想を抱いても、社会的には両国の諍いは当然としてあることを思い知らされました。
ちなみに写真のDOWN WITH USAの他にDOWN WITH ISRAELの文字も。

旅行前も旅行後もイランに訪れることを人に告げると、大抵「危ない国に・・・」などとのご意見をいただきました。
しかし、実際に訪れてみると、そうした印象の大部分は誤りであると実感しました。

確かに、道路事情は悪く、痴漢も多い。
我々はグループだったので被害には遭いませんでしたが、旅行者目当ての犯罪も多いとか。
また、宗教の影響が大きいので宗教に対する理解と理解する姿勢がないと、難しい面もあります。
ただ、だからといって、イラン人、あるいはイランという国が危険かと言えば、そう言うわけではなく、
イラン人の多くはジョークの好きな愉快な人々だし、国家としてのイランは日本にとって非常に重要な国でもあります。

ただ単にイランという国の良い面だけを見ようというつもりもありませんが、
我々に植え付けられたイランの負のイメージを払拭することは、イランを訪れた我々の重要な仕事だと思っています。
こうしてブログなどで情報を提供することが、皆様の理解を深めることに繋がれば、と思います。

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From Istanbul 2-03

20040919-03.JPG

世界で3番目に広い広場で の絵

エスファハーンのエマーム広場で写した写真です。
ガイドさんの話によるとエマーム広場は世界で3番目に広い広場とのこと。
2番目のモスクワの赤の広場は見たことがないものの、
一番広いという北京の天安門広場を見たことがあるので、どうしても比較してしまうもの。

私(杉岡)の感想としては、確かに天安門広場はかなり広大なものの、
中心に毛沢東記念館があり、周囲が建物に囲まれている天安門広場に比べて、
エマーム広場は周囲を壁で囲まれているので、こちらの方が広場という印象を持ちました。
また、周囲を囲むモスク・バザール、壁を抜けて入り込んでいる一般道、と、とても印象的な広場でした。

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From Istanbul 2-02

20040919-02.JPG

使用前使用後(違) の絵

イランでは男性は皆ヒゲを生やしていて、ヒゲのない男は同性愛者ぐらいなものだ、
という事前学習の情報を信じていた我々は今回の旅行に際し、ヒゲを伸ばしていました。
・・・が、実際イラン入国してみるとなんてことはない、若者を中心にヒゲのないひとは山ほど。

ということで、ヒゲが気になって仕方がなかった歌野さんは、バッサリと剃り上げることに。
とりあえず半分だけ剃ってみた写真です。
ヒゲを剃った後の日焼けのなさが残るヒゲ組の大城さんと私(杉岡)を心配させていました。
(磯さんは一足お先にヒゲなし組に)
結局、一番ヒゲがモサモサしていた私(杉岡)も変な日焼けあとがなくて安心しました。

投稿者 isobe : 21:31 | コメント (5) | トラックバック

From Istanbul 2-01

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カメラを買ってホクホク の絵

シーラーズのカメラ屋さんでカメラを買ってしまいました。
大城さんはマシュハド-テヘラン間の移動に前後してカメラを紛失してしまったので、
これで再びフィルムで写真が撮れるとホクホク顔。
一方、私(杉岡)はかっちょいいポラのカメラを衝動買い。
といっても、結局旅行中にフィルムを購入することができず、試写すらできていないのですが・・・(ぉ

投稿者 isobe : 21:30 | コメント (5) | トラックバック

2004年09月14日

From Istanbul No.10

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ペルセポリスの彫刻群 の絵

ペルセポリスはイスラームが登場する以前のイランの王朝、アケメネス朝ペルシアの遺跡。
ゾロアスター教を国教としたアケメネス朝の遺跡には多くの彫像・彫刻がありました。
写真で半分だけ写っている像は人面、鳥の翼を持ち、体は牛という動物の像です。
翼は天に上がることを意味し、牛は神聖な生き物らしいです。
イスラームでは、偶像崇拝が禁止されているので、彫刻のある遺跡は今回の旅行では珍しく、
楽しんで見学していました。

投稿者 isobe : 04:55 | コメント (0) | トラックバック

From Istanbul No.9

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柱について検証中 の絵

ペルセポリスの柱部分と柱の土台部分にはそれぞれ印が付いていて、
別々に造ったパーツを後から接合したと考えられます。
また細部も滑らかな曲線で装飾されており、
当時どのように建造し、どのような偉容を誇っていたのか、想像できませんでした。

投稿者 isobe : 04:54 | コメント (1) | トラックバック

From Istanbul No.8

20040905-08.jpg

遺跡に腰掛けて一休み の絵

ペルセポリスの遺跡もとにかく広い!
かつての王宮跡なのでそれもそのはずなので日差しと疲労で一休み。

投稿者 isobe : 04:52 | コメント (143) | トラックバック

From Istanbul No.7

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観光客で賑わうペルセポリス の絵

ペルセポリスは世界遺産だけあり、郊外にあるにもかかわらず、
様々な人種の観光客で賑わっていました。
現在は柱と門しか残っていませんが、かつてはちゃんと壁と屋根もあったそうです。

投稿者 isobe : 04:51 | コメント (9) | トラックバック

From Istanbul No.6

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イランの日差し の絵

ペルセポリスで撮影した写真です。
今回の旅行はカザフスタンのアルマティ、トルコのイスタンブールを除いて、
どこも日差しが強かったです。
その分、雲一つない真っ青な空が広がっていて、ただでさえ雄大な景色をより一層印象づけていました。

投稿者 isobe : 04:49 | コメント (7) | トラックバック

From Istanbul No.5

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イランの車事情。。。の絵

シーラーズで移動中に車がパンクしてしまいました。
イランでは車のトラブルが多いらしく、マシュハドでもガイドの乗っていた車が事故に遭い、
待ち合わせ時間に3時間近く遅れることが。
それもそのはず、街中には車が溢れていて、信号なんてあってないようなものでした。

投稿者 isobe : 04:48 | コメント (6) | トラックバック

From Istanbul No.4

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イラン航空の絵

イランの国内移動(テヘラン→シーラーズ、シーラーズ→エスファハーン、エスファハーン→テヘラン)は、
ロシアのお下がりと思われる小さな飛行機での移動でした。
大体席は2列-3列や3列-3列。
小さいだけに挙動も不安定らしく、飛行機に詳しい磯部さんなどは喜び半分、不安半分といった感じでした。

投稿者 isobe : 04:46 | コメント (1209) | トラックバック

From Istanbul No.3

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日本マンセーの絵

パナソニックや東芝、ソニー、トヨタなどなど様々な日本企業がイランでもがんばっていました。
しっかり社名もペルシャ文字で表記。

ちなみに面白い社名の企業も多数存在。
巧いと思ったのは
SHARP → PARS
(National + Aiwa) / 2 → Naniwa
などなど。

投稿者 isobe : 04:45 | コメント (7) | トラックバック

From Istanbul No.2

20040905-02.jpg

ホメイニー廟の絵

イランのイスラム革命の指導者で、初代最高指導者であるホメイニー師の廟の写真。
廟はテヘラン郊外にあり、地下鉄1号線の最終駅。
マシュハドのエマム・レザー廟には劣るものの、建設中にもかかわらず数多くの巡礼者が訪れていた。
ちなみにエマム・レザー廟も現在も建設中で、どちらも次の機会に訪れる時にはさらに大きくなっていると思われます。

投稿者 isobe : 04:43 | コメント (2) | トラックバック

From Istanbul No.1

20040905-01.jpg

ただいま学習中・・・の絵

テヘランの考古学博物館での写真。
これから行く予定であったペルセポリスやエスファハーンをはじめとする各地の発掘品を展示されていました。
磯さんは基本的にあまり美術館に興味がないとかで、写真のようにお勉強タイムor休憩タイムを満喫していましたが、
ここでは塩人間という発掘物に目を見開いておりました。

塩人間というのは、
「むぅぅ・・・なぜだ!?なぜ私が塩にっ!?」
と、体が塩になってしまった人間ではなく、塩の固まりの中から発掘された人間だったのですが。

投稿者 isobe : 04:41 | コメント (4) | トラックバック

2004年09月11日

トルコからの電話連絡

11日の0時40分(日本時間)に旅行部隊から電話連絡がありました。

現在トルコに入国し列車の乗り換えでバタバタしているとのことです。
イスタンブールに着くには、もう少し時間がかかるようです。
体調の方は全員健康とのことです。

投稿者 gowest : 00:56 | コメント (4) | トラックバック

2004年09月04日

文字情報による現状報告

今回は磯部から報告します。現在イラン・イスラーム共和国の首都、テヘラーンにいます。
全員体調は良好です。若干のトラブル(アレを忘れかけるとか、コレを忘れてきたとか)
はありますが、大きなトラブルはありません。
ウズベキスタンもイランも町の人にやたらと声をかけられたりするなど、友好的な
人々が多く、町もきれいでとてもいい印象を受けています。
これからイランのシーラーズ(ペルセポリス)、エスファハーンを回ってイスタンブール行き
3泊4日の列車に乗る予定です。
では次の報告をお楽しみに。

投稿者 isobe : 03:07 | コメント (1) | トラックバック

テヘラーンから 23

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ありし日の・・・の絵

マシュハド-テヘラン間での列車で撮影した大城さんの写真です。
左下に写っているひものようなものが。。。

ちなみにイランの鉄道はとても整っていて、マシュハド-テヘラン路線は人気路線だけあって、かなりの充実っぷりでした。
4人一部屋の寝台でテレビあり、水やチャイ、ジュースやお菓子、ご飯までサービス。
下の寝台は変形して、座り心地のいい広いイスが現れます。
とても居心地のいい列車だったのですが・・・とある事情によりとても苦い思い出になってしまいました。。。

投稿者 oshiro : 02:57 | コメント (6) | トラックバック

テヘラーンから 22

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車のナンバーの絵

イランの車のナンバーです。
イランでは、ペルシア文字で数字が表記されているため、覚えてないと全く読めません。
ちなみにこの車のナンバーは・・・
テヘラーン 14 78R452
だと思います(汗
私(杉岡)は真面目にペルシア語の勉強をしなかったので、間違っている可能性大ですが。。。

投稿者 oshiro : 02:55 | コメント (7) | トラックバック

テヘラーンから 21

040902-12.jpg

聖地の絵

マシュハドにあるエマム・レザー廟前の写真です。
聖地に訪れる人が毎日ごったがえしていました。
入り口では荷物検査がありカバンなどは持ち込めず、内部の写真撮影も禁止になっていますが、
それでも異教徒が入れるだけ、開放されている聖地でもあります。
3日間の滞在が巡礼メニューだそうで、内部は足の踏み場のないくらい巡礼者であふれかえっていました。
また、内部にはエマム・レザーの廟があり、多くの巡礼者が押しかけ、異教徒の入る隙間など微塵もありませんでした。

異教徒である我々は、観光客用の案内ビデオを鑑賞させていただき、
お土産にありがた〜い本をいただいて帰ってきました。

投稿者 oshiro : 02:53 | コメント (1) | トラックバック

テヘラーンから 20

040902-11.jpg

マシュハドのバザールの絵

イランでの最初の訪問地マシュハドはイスラム教の聖地で、
見回せば巡礼者、という土地でした。
バザールも宗教関係のグッズ、数珠や、石、香水、チャードルなどなど、
これまでのバザールとは一風変わった雰囲気を醸し出していました。

ちなみに現地で出会った日本人女性いわく、このバザールを歩くと
痴漢に触られまくったそうです。
いまいちイスラム社会の倫理観がわからないところだったり・・・

投稿者 oshiro : 02:52 | コメント (1) | トラックバック

テヘラーンから 19

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ナウシカ

投稿者 oshiro : 02:49 | コメント (0) | トラックバック

テヘラーンから 18

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ジャイアンがいぱーい の絵

トルクメニスタンはひたすらニヤゾフ大統領を前面に押し出していて、
首都アシュガバードはもちろん、途中の小さな街でもいたるところにニヤゾフの肖像画を見ることができます。
当然政府の主要な建物(この写真の建物)には彼の肖像画が・・・
右上は肖像画の拡大写真です。

投稿者 oshiro : 02:46 | コメント (0) | トラックバック

テヘラーンから 17

040902-10.jpg

ジャイアンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!の絵

この旅行、最大の目的地である(嘘)、黄金のニヤゾフ像です。
ニヤゾフというのはトルクメニスタンの永世大統領で、我々が旅行中、ジャイアンと呼んでいた人物です。
ニヤゾフ像の前には直立不動の衛兵がいて、時々お付きの兵士に服装を直してもらっていました。

投稿者 oshiro : 02:41 | コメント (9) | トラックバック

テヘラーンから 16

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キズ・カラ内で記念撮影の絵

メルブの遺跡は観光地といっても、観光客に出会うことはほとんどなく、
キズ・カラでもこの写真に写っているトルクメン人のグループと、
現地のスタッフと子供たちぐらいにしか出会いませんでした。

ちなみに真ん中のおっちゃんがかぶっている帽子が、トルクメンの伝統的な帽子らしいです。
とても暑いところなのですが、砂漠なので朝夕は寒いからでしょうか、かなり暖かそうなものでした。

投稿者 oshiro : 02:40 | コメント (2) | トラックバック

テヘラーンから 15

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メルブの夕焼け の絵

メルブのキズ・カラの写真です。
キズ・カラというのはかつての王宮跡で、今は現地の子どもの遊び場になっていました。
メルブは世界遺産の一つなのですが、とても写真や言葉では表現できないスケールの遺跡群で、
ただただ圧倒されるだけでした。

投稿者 oshiro : 02:38 | コメント (1) | トラックバック

テヘラーンから 14

040902-08.jpg

ちょっと食べ過ぎちゃったかな?の絵

夕食後の会計中の写真。
ウズベキスタンは結構インフレが進んでいるわりに、
最高紙幣が500cymなので、少し高額の支払いになると、すぐ札束が飛び交っていました。
店の人が数え間違えるようなこともしばしばで、
歌野さんなどはよくブツブツ文句を言ってました。

投稿者 oshiro : 02:37 | コメント (1) | トラックバック

テヘラーンから 13

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ブハラのホテルで引篭り!?の絵

ブハラのホテル、サーシャ&サンはかつてのブハラの豪邸を思わせる作り。
昼の暑いときや、メンバーの休息中には、私(杉岡)は中庭に出て一服しながら、
読書や旅行のメモを記述したりしていました。
とても居心地のいいところでした。

投稿者 oshiro : 02:34 | コメント (10) | トラックバック

テヘラーンから 12

040902-07.jpg

カラーンミナレットから見下ろして の絵

大抵のミナレットは入場料に追加料金を支払って上ることができ、
カラーンミナレットも+3000cymで上りました。
ここからはブハラの街を一望することができて、かなり壮観。
案内してくれたのは小学生ぐらいの子どもでいっしょに上ではしゃぎながら、
眺望を楽しんでいました。

投稿者 oshiro : 02:33 | コメント (14) | トラックバック

テヘラーンから 11

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買ってください攻撃を抜けて・・・

右手に見える塔が街のシンボル的な、カラーンミナレット。
ブハラは砂漠の中にあるだけあり、日差しも強い。
空は雲一つなく、写真のような青空が広がっていました。

投稿者 oshiro : 02:30 | コメント (103) | トラックバック

テヘラーンから 10

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ブハラをブラブラの絵

ブハラのタキ(古典的なショッピングモールのようなもの)から出てきたところ。
ブハラの旧市街は街中全部このような建物が並んでいて、
さすが世界遺産といった印象。

投稿者 oshiro : 02:29 | コメント (461) | トラックバック

テヘラーンから 9

040902-05.jpg

肉肉肉肉・・・の絵

サマルカンドのチャイハナにて撮影。
旅行中とりあえず肉ばかり食っています。
これは羊肉のシャシリク。
ただ玉ねぎは生で、辛みを抜いていません(ブツブツ

ちなみに左上のパンは通称ウズベクパン。
ウズベキスタンではこのパンが一般的で、外はカリっと、中はしっとり。
私は結構お気に入りで、パクパク食べていました。

投稿者 oshiro : 02:27 | コメント (8) | トラックバック

テヘラーンから 8

20040902-4.jpg

潔い!の絵

サマルカンドのネットカフェにて。
ここまでしっかり作りこんだ海賊版を目の当たりにすると、感動します。

投稿者 oshiro : 02:25 | コメント (2) | トラックバック

テヘラーンから 7

040902-04.jpg

メドレセの中庭の絵

「テヘラーンから1」で登ったメドレセの中庭の写真。
大抵メドレセの内部は商店が並んでいたり、
真ん中に樹が生えていて、現地人や旅行者の憩いの場になっていました。
ここのメドレセはとにかくデカイので、そのスケールに圧倒。。。

投稿者 oshiro : 02:23 | コメント (24) | トラックバック

テヘラーンから 6

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ウルグベクメドレセ内部の絵

ウルグベクメドレセ内部は他のメドレセやモスクと異なり、内部は金ピカ。
金装飾をあまり好まない私(杉岡)も思わず見とれてしまいました。
サマルカンドのメドレセやモスクは金装飾とまではいかなくても、
どれも青色タイルがふんだんに使われて、とても綺麗でした。

投稿者 oshiro : 02:21 | コメント (0) | トラックバック

テヘラーンから 5

040902-02.jpg

レギスタン広場で出会った人々の絵

「テヘラーンから3、4」で磯部、杉岡がミナレットに登っている間に、
歌野、大城組は女の子をナンパしていた模様。。。
というのは冗談で、「テヘラーンから1」で紹介した学生同様に、
サマルカンドの外国語大学の日本語講座で日本語を学習している学生と、
その家族などなどとの記念撮影。
日本語を学習している学生は、レギスタン広場のような名所や、
美術館などで日本語のガイドのボランティアをしているそうです。

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テヘラーンから 4

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ウルグベクメドレセの上からの眺望の絵

この時、私(杉岡)はデジカメの電池が切れてあいにく写真撮影することが出来ず。。。
この写真は磯さん撮影のもの。
大体頭一つ分上に出すのがやっとで、30秒間隔ぐらいで鳥が飛んできてました。

投稿者 oshiro : 02:18 | コメント (5) | トラックバック

テヘラーンから 3

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ウルグベクメドレセに登る絵

ウルグベクメドレセは怪しい警備の警官に袖の下(3000cym)を握らせて、ミナレットに登ることが出来ました。
登ったのは磯部と杉岡だけでしたが、ミナレットからの夕焼けは格別でした。
上空ではカラス(?)らしき鳥の強襲を受ける、という貴重な経験も。。。

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テヘラーンから 2

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サマルカンドの人と会話して得られたものpriceressの絵

明らかに非公開と思われるミナレットに登った時の写真です。
入り口は怪しいし、階段は真っ暗だし、一番上は下手したら落ちそうなところだったけど、
かなり気持ちよかったです。
あいにく歌野さんは高所恐怖症とのこと・・・残念!

投稿者 oshiro : 02:15 | コメント (0) | トラックバック

テヘラーンから 1

040902-01.jpg

サマルカンドのレギスタン広場で、日本語の分かる現地の人に案内される絵

サマルカンドはタシケントに比べて涼しかったものの、日差しは強め。
現地の方々はとても親切で色々案内してもらいました。
左から二番目の人は、現地の高校生で、現在大学の講座で日本語学習中とか。
色々親切に案内してくれました。

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